イムデベ!

個人的偏見と傾向による映画・音楽・本紹介&レポ

バットマンVSスーパーマン “Batman vs Superman: Dawn of Justice” 2016 US directed by Zack Snyder

アメコミというのは日本のコミックとは随分と事情が違っていて、たとえば同じ漫画を違う漫画家が描いたり、違う漫画のキャラクターが出てきたり、というのは普通にあることらしい。

 

したがって、スーパーマンが活躍しているニューヨークのすぐ傍にゴッサムシティが出没し、ゴッサムシティで活躍するヒーローであるバットマンが、いきなりやってきた正義の宇宙人にジェラシー覚えるなんてことも起きてしまう。そんなストーリー。

 

そう、コレ、ジェラシーの話なんだよ(笑)

 

トレイラーを観たときは、なんかすごく嫌なことがあって、スーパーマンが暴れちゃうのかなーってちょっと思ったんだけど、全然そんなことはなくて、スーパーマンはちゃんとスーパーマンで、正義にまい進する実直な宇宙人だった。

ハンサムだし。

彼女もいる。

言うことなしだよね。

 

一方のバットマンは最初からちょっと病んでるし、そもそもがゴッサムで相手にしていた連中もスケアクロウやらジョーカーやら、病んでるやつらばっかしだし、彼女はいないし……しかも実際、スーツの中はフツーの人間なので、満身創痍。

あ、なんだか可哀想。

 

だから、スーパーマンにジェラっちゃって、ちょっとディスったりして頑張ってみるんだけど、結局のところ、スーパーマンのピュアっぷりに、あ、ごめんなさい、ってなっちゃう。そんなショボンぶりが最高にいい。

 

こんな風に書くとただのしょんぼりコメディになっちゃうんだけど、そこはザック・シュナイダー監督。

かつてはスパルタ兵を率いた男。

がっつりアクション、ど迫力シーン満載でカッコ良く描いてくれちゃう、この気持ち良さ!

 

いいよねえ、ヘンリー・カヴィル

スーパーマンにぴったり。

クラシカルな美貌だし、眼鏡のときと、スーパーマンのときの落差が、クリストファー・リーブ同様、ちゃんとあるし。

あと少し泣きそうな顔をするのが凄く母性本能をくすぐるタイプなので、こてんぱんにされているシーンなんて一部マニア(私のことか)に大うけ間違いなし。

さすが、ザック先生、わかっていらっしゃる。

 

ヘンリー・カヴィル、初めて観たのはターセム監督の大失敗作「イモータルズ」(ターセムは大丈夫なのか?)だったんだけど、このときはまだもっさりしてた。

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#短い前髪が致命的に似合わないのではないだろうか…

 

そこから、ザック先生にしごかれ、みるみる輝きだして、「UNCLE」では完璧な美貌で、ハンサムだってだけで出てきたヒュー・グラントと並んでひけを取らない美しさで、イギリス!イギリス!!

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スーパーマンはまた「UNCLE」とは違った種類の、どちらかといえば朴訥とした感じのただようカワイイ系。すごいハンサムなのに引き出し色々ありそう。

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ベン・アフレックは正直、嫌いだったんだけど、今回は良かったね!

いやー、だってさ、「デアデビル」なんか酷かったじゃないですか。

体はもっさりしてるし、顔ももっさりしてるし、何より、悪役のコリン・ファレルの方がカッコ良すぎて全部持ってかれちゃったという…あの映画大好きで何度も観てるんですよ。コリン・ファレルのところだけ。

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#強烈すぎて誰も勝てなかったファレルのブルズアイ

 

それが、年取って、なんか疲れた風情を漂わせるようになって、俄然良くなったじゃないですか!

ヨッ!疲れた会社経営者!!(酷)

 

 

そしてこの映画なんといっても出色だったのが、ジェレミー・アイアンズ演じる執事アルフレッド!

 

やっぱりね、ノーラン監督のバットマンが最高すぎたわけじゃないですか。

金持ちオーラばっきばきにだしつつ、背中に影しょってる役やらせたら右に出るものはいない(多分)クリスチャン・ベールを主演において、その屋敷に君臨するマイケル・ケイン様のアルフレッドなんてパーフェクトすぎて、どうすんの、もう誰にもこのフィールド踏み込めない!って状態だった。

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#坊ちゃまに甘々の執事王、ケインアルフレッド様。

 

そこにザックが持ち込んだのが疲れたビジネスマン風情のブルース+すさんだ執事のアルフレッド。この組合わせ絶妙すぎる!

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#優しさの欠片もないどころかいっそ狂気

 

アイアンズの荒み感が抜群。

ブルース坊ちゃまをひたすら過保護にするケイン様とはひとあじもふたあじも違う。

もう、愛情注ぐってよりは、酒注いでる感じ。

見守っているんじゃなくて、ちょっと通りすがりに手助けしてるって感じ。

ご主人さまに対するぞんざいさが半端ない。

ピンチになっているご主人さまに掛けることばが「ちょっと見たら大変なことに」

彼女持ちでピュアピュアなスーパーマンにががーんとなってるご主人さまに掛けることばが「あなたにも大切な人が…できないでしょうけど」

挙句の果てにはご主人様が秘蔵の酒を飲んだと文句をたれる。

ご主人様は命を懸けて、なんか無駄に戦ってるっぽいのに!

 

いい。凄くいい。

この組合わせで是非とも続けて頂きたい。

もちろん、甘やかされないアフレックバットマンの世界にはゲイリー・オールドマン演じるゴードン警部なんてご褒美アイテムも用意されていないのだ。

 

かわいそう・・・・・・

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#史上最高のご褒美キャラ

 

だいたいのことはゲイリーがいれば我慢できるのに(疑うなら「チャイルド44」を観てみるといい。あの死ぬほど救われない原作がそこそこ救いのある映画になったのはゲイリーがいるからだ)それすら与えられず、アイアンズ様に働き馬のように扱われ、従業員からは愚痴られ、スーパーマンからはピュアピュアオーラで天然ボケぶっこかれ、そしてワンダーウーマンからはさげすみの目で見られる。そんなアフレックバットマンが大好きだ。

 

とか言いつつ、眼で追っちゃうのはヘンリー・カヴィルとアイアンズ様なんですけど。

仕方ない。

人は美しい者に眼をひかれるのだ。

続編、全力で楽しみにしてます。

フォーエバー・プラッド 28th May, 2016@東京グローブ座 4 & 5th May, 2016@KAAT

 オフ・ブロードウェイのミュージカルで2013年に日本版で公演、今回、全く同じキャストで再演となった舞台を、千秋楽を含む3回観てきました。

 

 男性四人のボーカルグループが、初めての大きな舞台を踏むことになって、誂えたスーツを取りに行くとき事故に遭い、全員死んでしまう。そんな彼らがよみがえって、ひと晩かぎりのライヴショーを行うというとても変わった設定のミュージカル。

 ミュージカルと言っても、台詞を歌うことは一切なくて、観客は彼らのライヴショーを観に来た観客ということになるから、感覚としてはライヴに近い。登場人物も四人だけだし(あとは演奏するバンドだけ)。

 しばしば観客に話しかけたり、舞台にあげたりもする観客巻き込み系で、アドリブもちょいちょい混ざってるとても気軽に楽しめる作品でした。

 

 構成も、一夜限りのライヴショーという限定された時間と空間に、彼らの生前の思い出だとか、歌に対する思いだとか、切なさがきれいに織り込まれていて、実に絶妙。飽きさせない。

 特に終盤のエド・サリヴァンショーの部分は抱腹絶倒の大騒ぎで、4人しかいないなんて信じられないほどのバラエティに富んだシーンを繰り広げてました。何回観ても爆笑。

 

 歌も素晴らしかったなあ。明るい歌から、ラブソング、労働歌まで、幅広くて、それをどれも実に楽しげに生き生きと歌い上げてくれるから、聞いていてとても気持ちが良くて、ずっと笑顔でいられました。これは癒し舞台……。

 

 キャスト四人がまた絶妙な配役で、元気いっぱいなんだけどぜんそく持ちのフランキーに川平慈英、派手でカッコつけでちょっといい加減なスパーキーに松岡充、スパーキーの異母兄弟(って言ってたけど設定的には親の連れ子同士なのでは…)ですぐに鼻血が出ちゃうビクビクビックルなジンクスに長野博、そして胃痛持ちで神経質なスマッジに鈴木壮麻。

 

 失礼ながら、私、壮麻さんって存じ上げてなくて、この四人のなかで唯一、知らないキャストだったんですけど、声を聞いた瞬間に、なにごとー!!?ってなりました。

 とんでもない美声。聞けば劇団四季にいらしたとのことで、アンコールのフリートークでも、この後にもう3つくらい舞台の台本が届いているという超売れっ子さん。

 身のこなしも美しく、しかもハンサム。聞いてないよって感じのハンサム。それでいてコメディセンスも抜群で、ハンサムなのに、観客を笑い死にさせかけたのは間違いなくこの方です。

 

 みんなそれぞれ役柄にぴったり、というか、役柄を演じるのにぴったりでしたね。

 川平さんの小さな身体から発散するエネルギーの大きさはフランキーそのものだったし、松岡くんのライブステージで磨かれた歌い方のカッコ良さはやっぱ役者さんとは一線を画する感じだったし。長野くんはおどおどしているふりが上手!(笑)いや、だって、V6でおどおどしてるの観たことないもん(むしろ一番どっしりしてる)。でも、そこは流石のアイドルパワーで、かわいくみせる技に長けてらっしゃる。すっごいかわいかった。なんか果てしないかわいさを観た。

 ちなみに踊りもいつもと全然違ってて、わざとぎこちなくしてたんだろうけど、時折キレッキレの仕草が出ちゃってて、それもまたかわいかった。もう何でもかわいいよ!

 あと、転び技やらせたら本当に上手いよね、長野くん。On The Townでもびっくりしたんだけど、今回も階段でのずっこけシーンがあって、すごい自然なのね。ビートたけしより自然だよね。どこで身に着けた技なんだ、あれは。

 まあそれはどうでもいいんだ。

 

 今回約3年ぶりの再演となりましたが、これは数年おきに是非とも、是非とも、同じキャストで再演してほしいなあ。プラッズたちが帰ってくるのを観客も心から待っているヨ~!

キャロル "Carol" 2015 UK/US directed by Todd Haynes

原作読了後、鑑賞。

 

ルーニー・マーラー演じる若い女性テレーズが、クリスマスのバイトで働いていたデパートで、ケイト・ブランシェット裕福な夫人キャロルと恋に落ちるものがたり。

 

同性愛を病気として扱っていた時代だから、今よりもずっとこのふたりの恋には障害がある。

そのうえ、キャロルには夫と子供があって、離婚申し立て中の身だ。

 

それでもふたりはひと目見たときからお互いの気持ちを止めることができない。

この恋がひたすら美しいのは、その想いが、片想いだからだ。

 

テレーズはカメラマンを目指しているだけの、何も持っていない、できない、若い女性でしかない。

アパートは狭く、恋人はいるけれどもそんなに好きだというわけでもない。

どうしたら憧れの職につけるのかもわからないまま、日々を過ごしているところに、会ったこともないような、ゴージャスで美しい女性と出会う。

彼女は自信に満ちていて、自分が何をしているのかちゃんとわかっているように見える。

服もメイクも完璧で、彼女といると恥ずかしささえ覚えるのに、それにも増して彼女が自分を見てくれるだけで幸せを感じる。

けれど、それは自分の片想いだと思いこもうとしている。

なぜなら、キャロルは自分のような小娘に恋をするような女性ではないし、同性愛は病気だからだ。

 

一方で、キャロルは幼い娘だけが心のたより。見栄ばかり重んじる夫の家族との暮らしに耐え切れず、離婚を申し立てている。夫は、自分を愛しているのではなく、自分を美しい戦利品あるいはアクセサリーのように扱っていると感じている。だからテレーズに会ったとき、自分を着飾らなくても美しい彼女の率直なふるまいに恋をする。彼女が自分自身に心を寄せてくれることに誇らしさと幸せを感じる。

けれど、それも自分の片想いだと思いこもうとしている。

なぜなら、テレーズにはちゃんと彼氏がいるし、他の若い男性もテレーズを見ると色めきたつ。自分はもう年を取っているし、おまけに夫も子供もいるからだ。

 

ふたりが互いのこころを、ただの憧れだとか優しさだとかに取り違えたふりをして、片想いを続ける姿はいじましくさえある。

背中合わせに寄り添って、ただその背中のぬくもりだけで幸せになっているような恋をする。

 

逃避行のような旅のなか、ようやくふたりが互いのきもちを確かめあったときも、やっぱりそれは恋に過ぎない。ふたりのどちらもが、自分の方が相手を愛しているのだと感じているから、ふたりからは不安がぬぐえない。

恋を愛にするためには、テレーズはもう少し大人にならなければいけないし、キャロルはいったんすべてを捨てなければいけない。

 

この映画の素晴らしいところは、そういう心の微妙な動きを、ことばではなく、視線や、ちょっとした仕草で丁寧に伝えてくるところだ。

どんなにキャロルを美しいと思っているか、そのテレーズの想いを私たちはテレーズが撮った写真に見ることができ、テレーズをどれだけ愛らしく思っているか、そのキャロルの想いをキャロルのひそやかな視線に追うことができる。

 

大人になったテレーズが選ぶのは、もちろん真実の愛だ。それこそ彼女の素晴らしいところで、大人になったからといって社会常識にいっさいとらわれることなく、常に自分に誠実だ。彼女が大人になって得たことは、自分がキャロルを支えることができるという自信だ。だから、初めて対等に彼女の視線を受け止めることができる。

このときの、二人の交わす視線に込められた愛情の優しさ、深さの美しさ、またそれを永遠にとどめておくかのようなふつりと途切れる幕引きのみごとさが素晴らしかった。

 

原作は実は色々と設定が違っている。

作者はパトリシア・ハイスミス

大好きなハイスミス

この作品、知らなかったんだけどと思ったら、発売当初は同性愛への偏見が大きかったことから、別名義で発表していたとのこと。

ハイスミスの作品は、特にリプリーシリーズだけれども、同性愛の雰囲気が漂っている。

キャロルは、たぶん、ハイスミスが書いた唯一の恋愛モノだと思う。

でも、やっぱりハイスミス

いつものテイスト、旅であるとか、油断のならない雰囲気、じわじわと侵食する不安感はしっかり詰め込まれている。

映画ではだいぶそのあたりをはしょったけれども、探偵とのやり取りはかなり危険なラインまで発展する。

旅も長い。キャロルがいないあとも、テレーズは旅先でひとり旅行者として暮らす期間がある。

この手の、異邦人としての暮らし、隔絶した環境での不安感を描かせたらハイスミスが一番だと思う。読者も不安でたまらなくさせるのが実に上手い。

それからテレーズはカメラマンではなく舞台美術家になるのを目指している。

これをカメラマンにしたのは、映画の見事な変更点のひとつだ。小説と違って視覚にうったえる映画ではカメラにすることで、テレーズの写真が大きな役割を果たした。

 

ハイスミスがこの作品を発表したあと、同性愛者から多くのファンメールが届いたという。

「別れるのでもなく、どちらかが死ぬのでもないエンディングの同性愛小説は初めて!」

 

確かにそうだ。たいていの同性愛の恋愛は悲劇に終わるものと相場が決まっている。

だからこそ、ハイスミスは、厳しい筆致で描きながらも、優しいラストを用意してくれたのに違いない。

というか、だいたい、ハイスミスは筆致は容赦ないけれども、ラストは主人公に優しいよね。

リプリーも死ななかったわけだし。

 

見事な原作、見事な映画化だった。

エヴェレスト 神々の山嶺 2016 日本 平山秀幸監督

原作未読で鑑賞。

 

主人公の深町は山の写真で食っていくことを目指す野心家のカメラマン。

ときにその野心が人の顰蹙を買うこともあるが、それをおそれることもなく、突き進もうとする。

カトマンドゥで偶然出遭った伝説的クライマー羽生の人生を調べるうちに、彼に執着を覚え、その前人未到の挑戦に随行、撮影するチャンスを得る。

 

鑑賞後の最初の感想は「山、やっぱりわからない」だった。

もともと、山をやる人間ではないので、見る前から「山、わからん」と思っていた、それをそのまま引き摺った、更にはどんなに過酷な世界かを知ってますます理解の範疇から外れていった、そんなふうな思いだった。

 

それが、映画を観終わってから、羽生はなぜすべてを捨てても山に登り続けたのか、他のひとに関心を抱かなかった自己中心的であった深町が、羽生になぜあんなにも惹かれたのか、つらつらと考えているうちに、ふと、それこそ、吹雪で閉ざされていた視界がぱっと開けて山の全貌が見えるときのように、理解した。

彼ら二人のあいだに生まれた共感でもなく友情でもない感情を理解し、山に挑み続けた理由を理解した。

 

すなわち、私たちの人生もまた山に登るのとそっくり同じだということだ。

 

目の前の困難にぶつかっても、それを乗り越えなければ先には進めない。

進んだ先に得られるものは他人からすれば何の価値もないかもしれない。

そのいただきは、その人ひとりだけのものだ。

もし、そのいただきを共有できるひとがいるならば、そのひとは限りなく自分の魂に近いひとになるだろう。

 

重要なのは足を止めないことだ。

兎に角、前へ、前へ、たった一歩でも、一歩に満たなくても、先へ進むことだ。

 

この映画からもらった力強いメッセージだ。

 

丁度、3月。

4月から生活が変わる人も多いし(私もその一人だ)、その周囲で自分の生き方にふとした疑問を感じる人もいるだろう。

歩みを止めるのはほんの小さなことだけれど、実際に対峙すれば、とても乗り越えられない大きな岩のように思えるのではないだろうか。

けれど、その岩を越えたとき、そこには、いただきに通じる道が開ける。

目の前が見えないからといって、歩みを止めたら、そこでおしまいだ。

 

是非、山を登ることに対する先入観を捨てて、観て欲しい。

羽生と深町の結びつきや、前に進む力強さが、きっと力になってくれる。

 

とても大事な映画になった。

危険ななか、撮影を敢行した映画製作陣、羽生と深町を生きた阿部ちゃん、岡田くんに心から感謝と拍手を送りたい。

 

映画を観たあと、原作も読んだ。

原作は映画と違って、もっと詳しい山の話があって、映画でわからない部分を補完できた。

深町のキャラ設定が映画とはかなり違っているのだけれども、それは2時間という映画の中に収めることを考えてのことだとインタビューで岡田くんが言っていた。

確かに、原作の深町に2時間で共感するのは難しいので、正解だと思う。

ただ、原作の深町は、より、わかりやすいというか、現実的に理解しやすいキャラクターになっている。

少々、煮え切らないのが、個人的には好きになれないが、まあ、私は白黒はっきりつけたがるきらいがあるので、こういった悩む姿に共感する人の方が多い…のかな。

羽生がなぜ、山をやり始めたのか等も、映画では描かれなかった部分なので、原作もオススメしたい。

 

坂本昌行ソロコンサート「One Man Standing」@オーチャードホール 6th Feb 2016

 坂本くん初のソロコンサートにして、ジャニーズ初のミュージカルコンサート、行ってきました。

ミュージカルコンサートって、つまりミュージカルの曲だけを歌うコンサートということになるんですが、ツイッターで演出家の人は、ハリー・コニックJr.がベガスでやっているようなショーにしたい、と言っていました。

 

 しかし,たった3日間計4回公演はいくらなんでも少なすぎ。

 お初尽くしということで、守りに入りすぎたかな。とにかくチケット入手困難で、ファミクラに入っているお友達と協力してようやく1回だけ入れたのがラッキーくらいの状況でした。

 次回はもうちょい長く、たくさん、公演やりましょう。

 せっかく興味を持ってくれたV6ファン以外の人たち、たとえばミュージカルファンで坂本くんの歌声が好きだとか、ワンディッシュで坂本くんの歌聴いてみたいと思ってたとか、いきなりジャニーズのコンサートに行くのは敷居が高いにしても、ソロコンだったら行ってみたい、そういう人たちがたくさんいると思うんだけど、たぶんというか、まあ確実に全然観られなかったと思う。

 

 私は2013年からのファンなので、坂本くんのミュージカルはOn The Townしか観たことがないんですが、ミュージカルは昔の映画から最近の映画までよく観る方なので、普通に楽しみました。

 坂本くんの声は甘くて優しいうえに声量があるので、聴いてて非常にリラックスできるんですが、その一方で踊りはエロいんですよね。

 エロとしかいいようがないから、エロって言っちゃいますけど、セクシーとは違うんですよ。セクシーって安っぽい気がするのね。もっとお高い感じのエロ。エロティシズムって言ったほうが日本語的にはいいかもしれない。日本語じゃないけど和製英語的な意味で。

 もともと生まれもったきれいな身体と、日ごろ鍛えたダンスが合わさるとなんでこんなにエロくなるのか。そこが坂本くん最大の魅力だと思うんですけど、踊ってないときはなんかちょっとかわいい感じ。踊り始めるとまるで別人。

 6人で踊っているときとはまた違う坂本くんのゴージャスな、大人の世界にひたれる2時間でした。

 個人的にはRENTの曲がいちばん好きだったかな。

 あと「ラブミーテンダー」。これは英語で是非とも歌って欲しかった。

 全部ね、日本語訳で歌ってたんですけど、坂本くんの英語ってすごく素敵なんですよ。発音がエロいの。そうか、これもまたエロなんだな。兎に角Lの発音がいいんだよね。

 違う曲で「honestly love you」って歌詞があったんだけど(題名も一緒か?)、素晴らしかったね。Lが。

 私、坂本くんのLが好き。

 

 マニアな話はさておいて。

 

 ちょっと勿体なかったなーと思うことが2点。

 

 1つは演出がいまいちまとまっていなかったこと。

 タイトルが「One Man Standing」だから、てっきり坂本くんが一人で歌いあげるものだと思っていたのですが、ダンサーさんも、シンガーさんも多かった。坂本くんなしで女性だけが歌うときもあったしね。

 坂本くん、一人で成り立つ世界だったと思うんですよ。シンプルに彼の歌唱だけで良かったんじゃないかなとすごく思いました。

 途中、いくつかのミュージカルの場面を再現しながら歌ったんですが、それをやられると、ダイジェスト版を見ている感じでとっちらかっちゃう。

 ミュージカルナンバーをひとつの曲として歌うというコンセプトで観たかったなあ。

 客いじりも良かったとは思うけど、ちょっと中途半端だった。ショーなんだからもうちょっと踏み込んでもよかった気がします。笑いがね、もう一歩だったんですよね。

 有名なサウンド・オブ・ミュージックの曲「You are 16, going to 17」を使って森田くんネタで落とすってのは面白いけど、せっかくだからワンフレーズじゃなくて全部聴きたかったな。落としたあとでフルでやっても良かったように思う。すごく有名な曲だし、楽しい曲だから。選曲にこの手のかわいくて誰もが知ってる曲が足りなかった。

 MCも音楽プロデューサ(なのかな)の羽毛田さんの話が多くて、観客的にはポカーン。すごい人なんだよ!と力説されても、ねえ…別に音楽プロデューサを見に来たわけではないので、そういう話はそれこそパンフレットでも用意して書いておけばよかったんじゃないかな。

 あと、森田くんの映画をいきなり宣伝したのも、???でした。事務所の意向なんでしょうけど、違和感が大きかった。あれ、ミュージカルじゃないし…。

 

 もうひとつは坂本くんが凄く反省しちゃったこと。

 たかが、と言っては悪いのかもしれないけど、歌詞を忘れてしまったことについて、全部吹っ飛んで歌えませんでしたとかなら兎も角、ワンフレーズくらい、わざわざ言わなくていい。

 1回目の忘れちゃった、は良かったけど、2回目の忘れちゃったは本気で本人が悔しがってたし、反省してますってなっちゃったし、実際、次の日に悔しくて眠れなかったって言ってたらしいけど、観客からしたらたかがワンフレーズなんですよ。

 ミュージカルだったら台詞抜けになっちゃうけど、コンサートだから、そんなに気にすることじゃない。というか、気にしないで欲しい。完璧な歌詞を聴きに行っているわけではないんだから。

 客としては、素晴らしい歌声と踊りが見られればそれで良くて、歌詞抜けちゃったねはちょっとした笑い程度で済む話じゃないですか。

 それを本人があそこまで気に病んじゃうと、こっちも気になっちゃって、心配になるし、眠れないほど悔しいまで言われたら、私たちが観たコンサートは彼にとって黒歴史なのか?って思っちゃうじゃないですか。

 これはアイドルというジャンルの特殊性なのかなとも思ったんですけど、つまり、アーティストが自分の失敗を真摯に反省して、それを糧に成長していくのをファンが見守るみたいなストーリー性が、アイドルとファンの間にはあるじゃないですか。

 でもショーって考えると、そういう関係性って無いんですよね。

 兎に角、ショーはショーとして、パフォーマーは客を楽しませる。客は笑顔で帰る。それでおしまい。

 どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、土壌の違いなんでしょうけど、私的には、歌詞の間違いくらいどうでもいいじゃん、寝られないとかやめてくれ、と思ったのでした。

 歌詞忘れたら、いっけねって顔すればそれでいいんですよ。

 大事なのはそこじゃないってことに気付いて欲しい。

 

 ショーなんだからそのとき観客が楽しめればそれでいい。

 私は十分楽しんだよ!

 素晴らしい舞台ありがとう!!

 色々、言ったけど、総じてうっとりするような歌声と、エロティシズムあふれるダンスが最高でした。

 次は是非、もっとたくさんの公演を!

 限られた観客だけじゃ勿体ないですよ!



 

さらば あぶない刑事 2016 日本 村川透監督

劇場版7作め!

 

これはスゴイ!もあったし,これはどうなの?もあったし,紆余曲折ありつつも,なんだかんだ言ってずっと愛さずにはいられないシリーズがついに(これまで何度も最後最後と言ってはきたが)最終回ということで,楽しみなような,寂しいような,実に複雑な気分で観に行ったんだけど……

 

今回は原点回帰と言い切っていたとおり,TV時代からのあぶない刑事ファンには大満足の内容だった!

ありがとう!

こういうふうな終わりを望まずに望んでいたんだと思う.

 

見事な幕を引かないこの幕引きに,大きな拍手を送りたい.

 

私たちはユージとタカに別れを惜しむことなく,ずっと,あのふたりは一緒に走り回っているのだと思うことができる.

何度ありがとうと言ってもたりないくらいの,ありがとう!

 

今回の劇場版は,これスタンダードサイズじゃないの?と思うくらいにTV版と同じだった.

あのTV版がどれほどのクオリティで作られていたか,

二人がどれだけ軽やかに,楽しく,カッコよく,活躍していたかを思い出した.

 

横浜はもう同じ街とは思えないほど変わってしまったのに,あぶない刑事はまったく変わらず帰ってきてくれたのだから,これを感謝で迎えずしてどうしようというのか.

 

いい加減なところも,むちゃくちゃなところも,ただただカッコよければいいじゃない,というその場のノリも,昔のまま.

アクションもすごかったんだけど,スケールアップは別にしないの.昔のままなの.

それがいいんだよね~.

無駄に爆発とか要らないわけ.

ユージが走って,タカがハーレーで来ればいいわけ.

トールは困ってて,カオルはドタバタしてて,これだよ,これを待っていたんだよ!

 

せっかくだから昔話もしとこう.

 

TV版が決まったとき,私は柴田恭兵の大ファンだったから,相手役が舘ひろしというのがすごく不満だった.

舘ひろしと言えば,苦虫をかみつぶしたような顔をした男という印象しかなかったからだ.

同級生もみんな同じ意見で,恭兵はいいけど,舘は嫌だよねえ,と話していたものだ.

あと,仲村トオルも嫌だった.当時,彼にはビーバップのイメージしかなかったので,あのふてぶてしい顔した不良でしょ,という感じ.

 

それが一話目を観た次の日,学校で大騒ぎになった.

とにかく恭兵がカッコイイ!そして舘ひろしがカワイイ!え,何?何が起こったの?

しかも仲村トオルがおかしかった.全然不良じゃなかった.トロい動物だった.

以降,毎週,毎週,放映日の次の日はみんなで大騒ぎしたのを覚えている.

最大の衝撃はたしか,舘ひろしが「ユージ~」と情けない声で呼んだことだった.

舘ひろしがあんな声を出すなんて!

ちなみに浅野温子がどう映っていたかというと,ひたすらカッコ良く見えていた.

だって,ユージもタカも太刀打ちできないんだもん.

そんな女性が出てくるドラマは他になかった!

 

あの頃,二人が走り回っていたのはだいたい,赤レンガ倉庫付近だった.

赤レンガ倉庫は,全然整備されていなくて,汚く,半分朽ちた廃屋みたいなところだったから,犯罪者がたまるのにぴったりの雰囲気だった.

さすがに毎回毎回,犯人があそこへ逃げ込むのには笑ったけれど,それも含めてのあぶない刑事だったと思う.

 

今や,赤レンガ倉庫は観光名所となり,周囲もすっかり整備されて,観覧車もできちゃったし,夜景のきれいなおしゃれスポットになっちゃったけど,それでもあぶない刑事が走ることのできる場所はまだあったね!

久々に,横浜あぶねーなって思ったわ(笑)

 

続きが観たくないって言ったらうそになるけど,これほどの美しい幕引きに,その幕を引きずり下ろすのも無粋な気がする.

ひとまず,感謝の言葉を,村川透監督に捧げたい.

ありがとうございました.

 

ところで,今作で初めて気づいたんだけど,ほんとだ,ユージ,彼女がいたためしなかったね…アレ?

 

ま,カッコ良すぎるとそうなるわな.

 

ザ・ウォーク "The Walk" 2015 America directed by Robert Zemeckis

軽やかに前に踏み出す一歩のはなし

 

フィリップ・プティは実在の軽業師,というか綱渡り師である.

彼が,かつてツインタワー竣工時に(片方のタワーは既に建っていて使われていて,もう片方は完成間近だったが入居は始まっていなかった),こともあろうにタワーの屋上から屋上へワイヤー(なんと2センチとすこし!)を渡して綱渡りをした実話を,ロバート・ゼメキスが映画化した.

 

これが,思いもかけず軽やかな映画である.

 

この偉業というにはあまりにクレイジーな挑戦を映画化すると聞いて,想像したのはさまざまなハプニング,そして地道な努力,練習,心の葛藤が延々描かれた挙句の,クライマックス的な綱渡り(ようやっと渡ったか!)だったが,オープニングからそれを文字通り軽く裏切る.

 

ジョセフ・ゴードン・レヴィット演じるプティが自由の女神のてっぺんに乗り,こちらに物語を語り始めるのだ.

 

それはまるで紙芝居のような始まりで,そのあともファンタジーに近い,1970年代というみんなが上を向こうとしていた時代に彩られたフランスでの子供時代から少年時代,そして綱渡りへと彼のものがたりが綴られていく.

 

プティはまったく唐突に綱渡りに魅せられ,そしてまったく唐突にツインタワーを夢見る.

 

気が狂っているようでもあり,おとぎ話のようでもある唐突さが,実はとんでもなく恐ろしい計画である綱渡りに,まるでピクニックにでも連れて行ってくれるような気軽さを生む.

 

かくして仲間たち(個性ゆたかでますますおとぎ話のようだが実話)を集め,プティはアメリカで綱渡りに挑む.

最早,その高みにあって恐怖を感じる必要はない.

観客もプティと一緒にその高さ,誰も観たことのない(もちろんプティ本人以外)を楽しめばいい.

 

プティは実に40分以上,ワイヤーの上にいたという.

もちろん映画のうち40分を費やすわけにはいかないけれど,それでも十分なほど長い時間,プティは我々をワイヤーの上に連れて行ってくれる.

 

この綱渡りはプティにとって夢であるように,仲間たちの夢でもあり,そして見た人たちの夢にもなった.

私の知っているツインタワーは,周囲のビルに並ぶ高層ビルのひとつに過ぎないが,竣工時は違っていた.

周囲に高い建物はなく,ただツインタワーだけが,無遠慮に巨大なその四角柱を空に突き刺していた.

実際,建ったとき,非常に評判が悪かったという.人間味のない四角いふたつの建物は人に好かれることを拒んでいるようにも見えた.

それがプティがその間を渡ったことで,人はそこに親しみを持つようになったそうだ.

プティは自分の夢をかなえ,ツインタワーに心を与えた.

 

プティの綱渡りを観た人たち,地上から彼の歩みを見守った人たちの人生はきっと多かれ少なかれ変わった筈だと思う.

そこに自分の夢を投影した人もいるだろうし,勇気をもらった人もいるだろう.

 

この映画は,人生に踏み出す一歩に怖気づいている人たちに,まずは足を出してごらん,と言っているような気がする.

最悪なときでもまずは一歩.それが軽やかであればあるほど,物事はうまくいく.そんな気持ちになる映画だ.

そして自分だけの景色を手に入れたいと願うことを後押ししてくれる映画だ.

 

もちろん,ツインタワーは今は無い.

それがこの映画の最も悲しいところであり,切ない部分だ.

人が建て,人が愛したタワーはたくさんの人たちの命とともに人の手によって崩れ落ちた.

それでも,希望が無くなったわけではない.プティの与えた心が完全に崩れ去ったわけではない.

それは,この映画でゼメキスがツインタワーに向ける視線,画面上に美しく残るツインタワーの姿にこめられているように思う.

 

ロバート・ゼメキスと言えば色々あるけれどやはり「バック・トゥ・ザ・フューチャー」.

あれも,勇気を出して踏み出すことを恐れるなという明確なメッセージを持っていた.

なんとなく,私にとってゼメキスはいつも味方でいてくれる監督だ.

子供のときにマーティの活躍にドキドキしたのと同じように,今,大人になってプティの軽やかな一歩にドキドキしている.

 

たった2センチ.

それだけの幅でも人は前に進むことができる.

 

プティを演じたジョセフ・ゴードン・レヴィットについても少し.

面倒なのでJGLと書くけれど,彼は演技派なだけでなく,非常に器用な人間で,かつてTVのトークショーでボードヴィルをやってみせたこともあるし,マジックマイクが大ヒットしたときにはストリップショーの真似もやってみせた.

JGLの兄は残念ながら若くして亡くなったが,ファイヤーパフォーマーだった.

だからジャグリングなんかは兄から教わっていても不思議はない.

今回ももちろんビルの屋上ではないけれど,綱渡りを習得したという.

綱渡りをする人独特の筋肉の付き方,姿勢なのかもしれないが,胸が大きく前に膨らんだ姿は,まるで希望で胸がいっぱいという感じを受ける.

 

難しいことは考えなくていいから一歩前に出てごらんと言っているみたいで元気が出る.

 

高所恐怖症でないひとには,ぜひとも観て欲しいし,

高所恐怖症のひともちょっと勇気を出して観てみてはどうか.