ジェラール・フィリップに捧げたジャン・コクトーのことばを借りて
突然ですが、ジェラール・フィリップという俳優をご存知でしょうか。
私もリアルタイムではありませんが、子供の頃、TVで放映されていた
「パルムの僧院」を観て、こんなに美しい人がこの世にいるのか!
と驚いて以来、彼の映画をたくさんレンタルで借りて観ました。
活躍したのは20世紀半ば。
モノクロ映画からカラー映画へと移り行く中、1959年に36歳という若さで
病気で亡くなりました。
日本でもたいへんな人気で、当時としては珍しく、フランス映画で
ありながら多くの作品が日本で公開されたそうです。
今も日本ではときおり特集上映会などがあり、
根強いファンから新しいファンまで、彼の作品を鑑賞し、
奔放な剣士から、哀愁漂う悲劇の主人公まで、短い生涯と裏腹に
あらゆる役柄をこなした演技力と美貌に今も心を動かされています。
ジェラール・フィリップについて、フランスの詩人ジャン・コクトーが
1960年に書いた言葉を、私は最近、よく思い起こします。
「ジャン・コクトー 映画について」という本に載っていたもので、
今では絶版となっており、非常にレアなテキストであることから、
他のコクトー本でも見ることが難しいため抜粋してここに引用します。
(問題がありましたらすぐに削除します)
尚、ここでコクトーが「妖精」としているのは、よく知られている御伽噺、
たとえば「眠り姫」で姫が生まれたときに良い妖精たちが姫に贈物を
捧げるなか、悪い妖精が現われて15歳で糸巻きに指を刺して死ぬと呪ったとき、
賢い妖精がカーテンの裏に隠れていて、悪い妖精の呪いを解く王子の出現を
贈物として捧げたことをさしています(他の御伽噺でも同様の話があります)。
また、文中に言及されているレイモン・ラディゲはコクトーの恋人であり小説家で、
18歳にして少年から青年へと移りいく心の残酷さを描いた「肉体の悪魔」、
19歳で「ドルジェル伯の舞踏会」を執筆したのち病に倒れ20歳で死去しました。
奇しくもジェラール・フィリップは若い頃に「肉体の悪魔」の主人公役を演じて、
大人気となりました。
*****「ジャン・コクトー 映画について」梁木靖弘 訳 より引用
オマージュ
(前略)
「映画は劇作家に、真のトリスタンや真のロミオ、若いイゾルデやジュリエットという、役柄と同じ年齢の俳優たちを発見するように仕向けた。
その結果、演劇でも到底応じられないような観客の要求が生じた。
若い俳優たちには、ヒーローやヒロインを背負うだけの、役者としてのたくましい肩がないというのに。
役者に求められたのは、伝説に見合う年齢などではなく、それを信じさせる才能だった。」
(中略)
「彼がその年齢からくる血気に加えて、何か妖精から受けついだ不思議な知恵を結びつけるのを見た。
妖精たちは残らず、彼の揺りかごのそばにいた。恐怖の的になるのはいつもきまってしんがりの妖精だ。ほかの連中のあとで、ジェラールの所へ最後にやってきた妖精が言う、「おまえの栄光は長続きしないよ」と。
彼女はしくじった。というのは、良い妖精たちはこの気の抜けた悪意を知っていて、そのおどかしを訂正した、「おまえの短い栄光を長く続くのに見あうほど力強いものにしてあげよう」と。」
(中略)
「また確かに、現代のリズムは若い俳優たちに神経を使わせ、実に重い役でもいとも軽々とやってのける彼らに極度の疲労がないはずはない。
しかし、ジェラール・フィリップは落着いた生活を送っていたし、国立民衆劇場のローテーションがつらければ、田舎で休養し、彼の良き伴侶である妻から、波風ひとつ立てぬ親身の心づかいを受けることもできたはずだ。
いや、齢を重ねるという幸運をほめたたえ、また望んでもいたレイモン・ラディゲが、糸玉を見る見る減らすほどの速さで彼の天才を繰りだしたように、ジェラール・フィリップもまた、見さかいなく精神の富を浪費し、その心を破滅にくれてやったのだ。
その宝を大盤に振舞ったあげくの、これもまた、何という豪奢!」
(後略)
*****
素晴らしい俳優の演じた作品たちは、その早すぎる死をもってしても輝きを失うことなく、半世紀以上のときを経てなお、新しいファンを獲得するほどの力を持っています。
今、私の手元には舞台の返金処理の振替払出証があります。
この舞台が中止になったとき、1月に彼がゲスト出演する姿をコンサートで観たこともあって、この状況では仕方ない、きっと来年、いくつもの舞台を観ることができるだろうと思っていました。まさか、二度と、彼の舞台のチケットを手にすることができないとは思っていませんでした。
舞台やコンサートでの溌剌とした姿や素晴らしい歌声は、記憶にとどめておくことしかできませんが、ドラマや映画はおりにふれ見返すことができます。
初めて見たひとが新たにファンになることもあるでしょう。
その死を悼むだけでなく、遺してくれた宝物を大切にしていきたいと思います。
素晴らしい宝物をたくさん遺してくれたことに今はただ感謝するばかりです。
ありがとうございました。
あなたと同じ時代に生きられたことを幸運に思います。