『美女と野獣』についての雑学(3)
ものすごく長くなってしまった。
なかなか最新版に話が辿りつかないので、たぶん辿りついたときには息切れしている(私が)。
さて、コクトー版の次はディズニーのアニメ映画版だから、ずいぶんと映像化の間が空くことになる。
まあ、コクトー版が凄かったからね…
というわけで、正直、アニメ映画版は観てません。
観てないものをあれこれいうのは私の流儀ではないので、ここはすっとばして、次の2015年公開、クリストフ・ガンズ監督による『美女と野獣』に一気に飛ぶ。
クリストフ・ガンズ監督は私の大好きな監督トップ5に入る…入るよね、適当に言っちゃうけど、入るんですよ、監督さんで、何がすごいってその寡作っぷり、マニアっぷり、変態っぷり、そしてオタンビ。完全にぶっとんだオタンビ。ガンズのオタンビはガンズにしか作れない、そんな特異なオタンビ監督であります。
どのくらい佳作かっていうと、まず長編デビュー作が「クライング・フリーマン」。1995年の作品。知る人ぞ知る、日本漫画の有名作品が原作。コレがとんでもないマニア向け作品で語ると長いから、今回は語らない。
2作目が「ジェヴォーダンの獣」。これは大傑作。前に語ったかもしれない。語ってなければ今すぐ語りたいくらいの大傑作だけどマニア向け。2001年。フランス人が新大陸から連れてきたインディアンと義兄弟になって獣を退治するというアクション快作。インディアン役のマーク・ダカスコスがフンドシ一丁で美しく舞う姿は最早伝説。
3作目が「サイレント・ヒル」。同名ゲームの映画化で、ゲーマーたちから熱狂的名支持を得たマニア向け作品。ゲーマーたちからは「神!神降臨!」と呼ばれた作品なれど、続編作る気無しで放置。これが2006年。
5年に一度くらいしか映画作らないってどういうことだと憤る固定ファン(私)
映画監督引退しちゃったの?と心配する新規ゲームファン。
そんな我々のやきもきを他所に4作目が2015年の『美女と野獣』…10年近く開いてんじゃねえか、働けよ!(怒)
まあ、そんなわけで何でしれっと『美女と野獣』なんだろうなーなんて思いつつ、まあガンズ先生だから好きだよね、当然好きだよねってファンは思ったわけです。
野獣大好きだもんね!(そっちだよ)
美女部分はガンズ先生、変態なんであんま興味ないんですよ。知ってる。
泥まみれにしたりするのは好きだけど、そういうのだけだよね。知ってる。
そんなガンズ先生が、ほっぺを赤くしながら(かわいい)「原点に戻るんだよ!原作の原作!超長いやつの方!」とか語ってて、こっちは本当の原作知らないんで、これがいったい原作に沿ってるのかどうか全くわからないんですけど、ガンズ版は野獣が野獣になった理由がきっちりしっかり語られています(他の部分は概ねコクトー版と同じだけど、野獣が婚約者と同じ顔になるというコクトーオリジナル部分は無し)。
城の王(ヴァンサン・カッセル!)は美しい妻と幸せに暮らしていたが、ただひとつの悪癖が狩猟だった。彼は美しい妻の再三の頼みを無視し、森に暮らす美しい鹿を追いまわし、しまいに殺してしまう。しかし殺した鹿は実は彼の妻であった。彼は森の女神である鹿を殺した罪で野獣となり、家来たちは巨大な彫像となり、犬たちは超かわいいキャラモンスターになるのであった。
え、何それ、ガンズ先生が大好きな感じじゃん…
しかもラストは木々が暴れまくり枝をのばしまくり、あーこれ、ガンズ先生が大好きな触手じゃん…あ、巨人まで出ちゃうの…
というどこまでもガンズテイストな『美女と野獣』
しかしまねできないオタンビも確実に繰り広げられ、コクトー版に負けるとも劣らずの美しい画面を展開。ガンズ先生の画面はとにかく赤と青が素晴らしいんだけど、そこにフランスといえば今はこの人、なレア・セドゥが美女として降臨。まさに夢の世界。
美しくてエロい世界観は圧倒的。
そして二人が恋に落ちる流れの美しさよ…ガンズ先生、もっと仕事しようよ。勿体ないよ。
そんなこんなで大満足して映画館を出た私に、すれ違った高校生たちのおしゃべりが聞こえてきた。
「何これ、ぜんぜんちがうー」
「意味わかんなーい」
え?何が違うって?おおよそコクトー版だし、意味わかんないってどういうこと?
訝ってネッサフしてみたら、そうか、カップが喋らず、ろうそくも沈黙していたし、誰も歌をうたわなかった!!
世の中、気付かぬあいだにディズニー版が主流になっていたのだ。
というわけで次回、ようやっと今回の『美女と野獣』を。